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| 垣見一雅氏と ゴパール、ロス氏 |
ナマステ ネパ−ルへの旅 1997年 10月 | |||||||||||||
![]() ネパールの少女 |
スモッグに覆われた空。洪水のような車が叫ぶクラクション。バイクに人力車と三輪車が人間のなかを縫うように突進する。 牛や山羊と人の群れそして埃の渦巻くネパ−ルの首都カトマンドウから車で10時間。途中バイクがパンクしたりした。 ヒンズ−教徒の多数をしめるネ−パルでは、仏教徒は少数派である。ネワ−ル人の仏教徒ゴパ−ル氏、ロス氏は意欲に燃え、ネパ−ルの未来をリ−ドしてゆく若手企業家である。 何よりも彼らは自己の利益だけを語らず、ネパ−ル国の未来を語った。彼らと共に、ヤとバイクを交互に運転しタンセンの町へ着いたのは夜11時近くなっていた。 標高1400mの斜面にへばりついた街の夜空には、都会では味わうことの出来ない、手が触れるほどの近くに星が輝き、天の川が横たわっていた。 |
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![]() 安田医師と院内を見学 |
ネパール タンセン病院 安田医師 翌朝、国際ミッションホスピタル、タンセン病院で働く安田医師の家庭を訪問した。奥さんと三人の子供との五人暮らしだ。私たちの訪問を心から喜んでくれた。 奥さんは思いっきり日本語で話せるといってよろこんだ。庭の木の実でつくった美味しいお菓子を御馳走になる。 病院内の医療設備は素人の私でさえこれで治療が出来るのだろうかと驚いた。先生たちの揺るぎない信仰心と献身的情熱で支えられているとしか思えなかった。 「医師数人が帰国したら、病院は閉鎖しなければならなくなります」一期三年が今年で終わる安田医師は、もう一期タンセン病院に残るつもりらしく、淡々と気負いのない優しい笑顔をたたえながら言った。同じ日本人で在ることを誇らしく、私はいったい何が出来るのか胸がきしんだ。
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![]() タンセン病院 |
タンセンからジ−プ1台がやっと通れる、今年の初めに完成したという切り立った山肌を削ったデコボコ道。傾きながら走る車窓から下をみると、私達の車が時折空中に浮いた。眼下遥かには刈り入れを待つ水田が輝いている。 途中何度も息を殺し目をつぶる。同行の三宅島から参加の北爪夫妻と、ドリマラ村で四年間暮らしている垣見氏は、八年前にバスごと崖から落ちて、タンセンの病院で一命をとりとめた経験の持ち主である。 村に到着した。 マガ−ル族の村人は純朴でめったに訪れることのない外国人〔日本人〕の我々を大勢の子供たちが取り巻いた。山間の村々に日が落ちるのは早い。 垣見さんの家〔村民が感謝を込めて建てた粘土と石ずくりの家〕に我々は落ち着く。垣見さんの家はものの見事に家具も調度品も何もない住まいであった。 無償の行為を誇るでもなく、さりとて信仰を表に出すでもなく、ものにとらわれることなく、執着することなく、所有しないことこそ、真の自由自在の在り方だと彼の生きざまが語っている。 千回の法話を聴くより此の地で彼の生きざまに触れたことで、私自身今回の旅の目的である「豊かな国の貧困」の謎が解けた思いである。 〔富弘広美術館の星野さんは垣見氏の活動を支援している〕 |
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![]() 私のスケッチ ドリマラ村 |
ネパールの90%を閉める山村に暮らす人々 ドリマラ村に滞在中順番に村人宅で、朝食、夕食の世話になる。土間のほぼ中央に円状の土間を掘っただけの囲炉裏は赤々と燃え、暖を取りながら調理をする。 煙突もなく低い天井の中を充満するいぶった煙で目が痛い。ネパ−ルの山村の人々に白内障が多いのも住居環境の悪さに起因するようだ。 一週間に一度くらいの骨つき肉を口にする、これが村人の食生活の全てだ。土間にわらで編んだござを敷き、地べたに置いて右手の指で暗くて見えない皿に指を這わす。〔左手の指は排便時に使用〕。ロキシ−〔米で造る自家製の焼酎〕をいただく。 ここの子供たちは大人が話しているときには絶対に口を挟んだり、騒いだりしなかった。尋ねると村のどこの家でも子供は同じだと言った。下半身丸出しで裸足である。 朝六時に村の山に登る。壮大な地球の屋根である八千mのヒマ−ルの峰々は、朝陽を浴びてオレンジ色に目覚める。スケッチブックにヒマ−ルを描き、時の過ぎ行くのを忘れた。 |
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北爪さんと尺八
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マッチロジャロジイ村の学校は、昨年北爪夫妻〔三宅島から参加〕が資金援助し建設中の二教室の石作りの小さな学校である。村人たちが全員集合し、感謝と歓迎会を開いてくれた。 マリ−ゴ−ルドや野の花で編んだレイを、幾重にもかけられた私達は、ささやかなプレゼントの飴やトレイニングウエア−などを配った。 |
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![]() くつろぐ垣見さん |
ドリマラ村や周辺の村々の訪問など、ネパ−の二十日間の旅は感動の連続であった。旅の終わりに片品村の萩原さんとカトマンドウから70キロほど離れた村を訪れた。 アドンタ−ル村〔若きリ−ダ−、クリシュナさん五か国語駆使〕の学校は、電気もない暗い十五畳ぐらいの教室に平均五十人もの生徒がひしめき合い学んでいた。 子供たちの真剣な瞳の輝きを見たとき、日本という有り余る物質天国に住む私たちがとっくに失ってしまった、根源的生命の息吹と、魂のときめきを肌で感じた。 手狭にになったアドンタ−ル村のマドミックハイスク−ル〔小、中、高校、五百名〕の建て替え工事に、日本の無菌状態の十代の子供たちと手作りの学校建設〔ネパ−ルでは、国や政府は学校建設まで手が回らないため外国の援助や村人が自分たちの資金と奉仕作業で建設する〕に参加し、村の子供たちと共に汗をながしながら交流を計ってみたい。 日本人の経験と知恵を役立ててもらい、見返りに、私達に生きることの真の意味と、自然との共生を教えてほしい。私自身、五十五年間一度も日本を離れることの無かった井の中の蛙であった。今回の生まれて初めての海外支援の手伝いと、学習見聞の旅は、まったく新しい世界の扉を開いてくれた。 ドリマラ村を去る朝、村の丘に立ちつくした。雲海は麓の山々を呑み込み、朝陽に赤く燃え上がるマナスル、アンナプルナ。ヒマ−ルの神々が雲の上に目覚めだした。私の脳裏を「求めよさらば得られん」聖書の言葉が、風のよう吹き抜けていった・・。 |
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![]() 訪問したお宅で夕食 長男と婚約者・北爪夫妻 |
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![]() 山村を巡る垣見さん「OKバジ」 |
1997年、10月 約20日間の予定でネパ−ルの旅に参加しました。55年間、海外旅行に参加するのをためらってきました。何故かと自分の心に問うてみたこともあります。キザなようですが、初めての体験は純粋感動として蓄積したいと思っていました。 ネパ−ルの旅はきっと期待を裏切らないと不思議な確信が沸いたのです。それも萩原さんの個人的ボランテイア活動に賛同し、お手伝という目的がはっきりしていたからだとおもいます。萩原さんに心より感謝いたします。
私達は全てのポケットに一杯の収穫を得ることができました。旅の一部を書きましたが、時間があれば、専門の建築設計や、施工技術など現地で直接指導出来ればと思いました。 先に書いたネワ−ル人のゴパ−ルさん達が建設中のバンブウグロ−ブ〔日本人向けの郊外リゾ−ト〕の内装などを、スケッチしてアドバイスしました。 また竹を利用した学校建築を少し研究し、役立てたらとも感じました。 私自身も含めて、日本人はもっと豊かに、もっと美味しいものを沢山ほしいと過労するほど働き、贅沢な消費文化をエンジョイしています。 日本の置かれている状況を客観的に理解し、進むべく未来を先見するにも、体験学習海外旅行の必要性を痛感したのでした。
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