|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
2007年5月
|
大家さんが急に体調を崩し半年もこのコーナーを休んでしまいました。
本人が再開しようとしていたようですが、
すい臓がんを発症し、現在静養中です。
もう少しで再開できそうですので、お待ちください。
ドラネの私も心配していたのですが、
大家さんは崖プチから這い上がってきたようです。
おめでとうございます。
私もほっとしております・・・7月から再開してもらいたいものです。
|
10月24日
入学式 |
晴天の秋晴れの日、入学式は淡々と行なわれた。
高い塀の外には、ミズナラ、ヤマウルシ、カエデ、シラカバ、ナナカマド・・・・
が色つき始め鮮やかなコントラストをを描く。
塀の外は厳しい長い冬に向かう山々の華やかな演奏会であった。
親も子も紅葉を楽しむ余裕など誰も持ち合わせていなかった。
不安と緊張で張り裂けそうな1日が始まろうとしていた。
|
|
|
10月22日
オス子ネコ
の隔離学校 |
「自立共生学校」はオス子ネコだけで、
オス子ネコ入学者は120匹。4クラスに年代別に分けられた。
一方メス子ネコは今まで通り自宅から従来の学校に通うことになった。
親猫との面会は学校内の面会室で1回目は3日に1度。
2回目以降は倍、倍に日数が延びることなど、
各家庭には開校3日前に学校生活の内容の細かい規則など配布されていた。 |
|
|
10月20日
変わらない遠望
|
村長はネコ学校の成績は芳しくなかった。
好きなことにしか興味を示さなかった。
先生は言う。
「いつも尻を叩いていないとオマエはちっとも勉強しない・・・」
多くの子ネコは村にとどまり職についたのであるが、学校を卒業し村を出た。
久しぶりに帰って来た時、あまりに村が沈滞し、極楽トンボのように覇気のない村民をみて絶望した。
口を開くと村人はまるでよそ者のに対するようによそよそしく離れていった。
2度と帰らぬ覚悟でネコ村を後にした。
村長が心配したようにネコ村が生命力を低下させていったと聞いたのはかなりの時間がたってからだった。
「丘から見る遠望は昔も今も少しも変わらないのに、
ネコ村だけが変わってしまった・・・。
|
|
|
10月14日
三日前
|
3日後の午後2時に新施設「自立共生学校」内での開所式が決まったが。
母ネコの多くはオロオロして、出稼ぎから一時帰って来た雄ネコにすがった。
「大丈夫よね!あの子は・・・」
山間の河川敷3ヘクタールのゾーンを囲う高い塀もほぼ完成した。
子ネコたちも次第に無口になり、開所式に何が起こるのか緊張を高めていた。
異相の新村長は現場の視察を終えると、さらに内部の細かい点を職員に指示し、村で一番高い山に登った。
新村長にはこの村を救う自信があった。
緑に覆われた山々の遠望を眺めながら、自分の子供時代を思い出した。
|
|
|
10月11日
現実に正面から・・・ |
子ネコの入所まで残り1週間をきった。
カウントダウンが始った。
ここにいたって母ネコ達は子ネコに対し強い母親に変身していた。
現実を直視した結果だった。
「もっと早くこの覚悟が出来ればよかった・・・・」
しかしそんなことは万ネコ一ネコにしか出来ないことであった。
母ネコの子供を育てる本能としてとことんどこまでも可愛がる。
何が悪いの・・・。
こと我が子に関しては理屈もヘッタクレれもなかった。
ここにきて父親存在の重大性をやっと理解したのである。
った |
|
|
10月9日
学校名
自立共生学校
|
45日が経過した。
子ネコを抱える母ネコ達のなかには普段から仲が悪く、何かにつけて子ネコのことでライバ心や妬みなどによるいがみ合いの「ゴロニヤン」の鳴き声は聞こえなくなっていた。
逆に一度も経験したことの子離れや親離れがどんなことになるのか
心配と不安でいがみ合う暇などなくなっていた。
親としては他人のネコより自分の子が可愛い。
その溺愛した子ネコのために何が必要なのか考えた結論は、
「みんな仲良く塀の中で助け合って行くべきだ・・・」
我が子可愛さのために、親たちの間で協力関係が成立した。
それぞれが自分の子ネコに言い含めた
「学校の中では、みんなで助け合って協力し合っていくのよ・・」
新学校名が発表された。
「自立共生学校」・・・・
|
|
|
10月6日
入所日 |
引きこもり、パラサイトの青年ネコの入所が始まった。
泣き叫びながら母ネコにすがりいやいやをする。
新村長はどんな例外を認めない。
「引きこもり隔離課」の職員は心を鬼にして母から引き離した。
彼らが何時までこの高い塀の中で暮らすのか誰も知らなかった。
しかし母ネコたちは必ず息子が戻ってくると信じることで生きようとしていた。
|
|
|
10月3日
閉じこもり |
閉じこもりのネコ家庭に共通する現象があった。
親は平均して生真面目な性格のケースが多く、
過干渉、過保護、過大な期待、過剰愛、教育熱心、ほめすぎ・・・・などが共通していた。
このようにして育ったモヤシのような精神の子ネコは、ほとんどなんでもないことに対しポキリ折れ切れた。
荒れる子供に母親はさらに息をつめ、今度は影のようにまとわり付く・・・。
本来真面目な子は、親の気配に心理的自由はなくなり息が詰まル。
そして家庭内暴力へと爆発する。家庭内の状態は悪化の一途をたどる。
家庭は「おかゆ」が煮詰まったように身動きが取れなくなり、爆発と静寂の繰り返しが常態化する。
新村長は叫んだ!
「まずは親と子供を強制的に切り離すことから始めなければならない・・・・」
|
|
|
10月2日
再生教戒所が開所

|
残りは30日。
新村長は次なる条例を発令した。
「5歳以上(人間社会では18歳)の引きこもり、パラサイトの青年ネコを対象に再生教戒所での強制訓練を義務化した。
内心で覚悟していた引きこもりを抱える母親たちは、ガックリと首をうなだれたが、中にはホット肩の力を抜く姿もあった。
山奥に設置された再生教戒所の建物は3つのブロックに仕切られ、敷地は3mの高さの頑丈な塀で囲われ、外側には深い堀に水がはられて・・・・。
強制入所開始は発令の翌日となっていた。
|
|
|
10月1日
30日が経過した村 |
この頃になるとはっきりと各家庭の中でも対応が分かれてきた。
3分の一がまだ親子間で現実の認識が出来ないでいた。
ただ河川敷の各施設が姿を現し、時間が刻々と迫る中、後ろ向きの発言や嘆きはすっかり聞えなくなっていた。
井戸端会議では我が子ネコの様子や変化が話題の中心になっていった。
異相ネコの村長は新たに学校の教育指導者の人選を進めた。
また一方で村の外に出て旅をしていた若者達に臨時講師としての召集状を発令した。
一方で母親自立支援サポート教室を設立し、強制受講させる時限条例を設けた。教壇には村長自ら立ち講義を受け持った。
子ネコたちの1日おきの宿泊訓練はすでに6回に達していた。
|
|
|
9月30日
精神的自立へ・・・
|
子ネコにも母ネコ自身も避けて通れない現実を前向きに捕らえなければ地獄が待っているということを理解し始めた。
このまま可愛そうだといって親子で泣き叫んでも確実に入所はやってくる。人間の社会で言う、徴兵制度と考えたらいいだろう。
ただネコ社会での2ヶ月という時間は人間社会に置き換えると6,8ヶ月に相当した・・・。
切り替えの早い親子は精神的一体感を破壊すべく、母も子も自立に向かって歩み始めようとしていた。
、 |
|
|
9月29日
宿泊体験 |
母、子の分離は当事者同士ではほとんど不可能といって言い。どんな立派な母ネコでも例外はほとんどないといっていい。
村の教育課では母ネコの申し出により、村の施設での宿泊体験を実施することにした。
「頑張ってね!」
村の入り口では母猫たちが青いハンカチを握り締め、子ネコの初体験となる宿泊場に向かう子ネコに絶叫をあげていた。
高い栗の木の枝から、臨時村長の「異相ネコ」はこの光景を苦々しく眺めていた・・・。
|
|
|
9月28日
母母ネコの嘆き
|
今まで仲の悪かった母ネコ建も情報交換を始めた。
母ネコたちは初めての経験で不安におののいているだけではこの現実に対応することは出来ないと危機感がましてきた。
しかし、親元を離れた子ネコが集団生活の中で孤立しないだろうか、またそうならないようにするには、残された時間で子ネコの何を教えどのように覚悟させるのかの方策を持っていなかった。
「こんなことになるならもう少したくましく育てるのだった・・・」
と井戸端会議での母ネコの嘆きがあちこちで挨拶代わりとなった。
|
|
|
9月27日
10日後
 |
山間部の河川敷に建設重機のうなりる音がこだまして10日がすぎた。
ドラネ村の人々はやっと現実を受け入れる気持ちになってきた。
もちろん中には「こんなばかなことがあるか・・・」
と騒ぎ立てるネコもいたが次第に声は小さくなっていった。
各家庭で対象子ネコを持つ親は考え込んだ。
「我が子が隔離されたまま2年間も会えることが出来ない・・・
自分のことよりも、我が子がはたして耐えられるだろうか・・?」
これから短い時間どのようにして子を送る準備をすべきかに関心が移っていた。
子にも母にも残された時間は50日を切っていた・・・・。
|
|
|
|
|
|
9月26日
2日目
|
2日目、新しい建設長官呼んだ。
「山間の河川敷3ヘクタールを造成し、平屋の宿舎及び付属棟、体育館を突貫工事で着手せよ。完成は2ヶ月後であること」と支持を出した。
新しい教育長官には、
「宿舎完成の2ヶ月後、3歳から4歳
(人間社会では12歳から17歳に相当する)
までの全家庭の子弟を全寮制の6棟の宿舎に隔離する」との通達を出すよう指示を与えた。。
村中の母親からは一斉に悲鳴が上がった・・・。
|
|
|
9月25日
1日目 |
朝から晴れた日だった。
ドラネ村役場に乗り込んだ異相ネコは、臨時村長室の席にドッカと座ると、まず管理職全員を首にした。
次に全村に光ファイバー回線を使って、教育改革の具体案を発令した。
ポラネ村の隅々まで激震が走った・・・
「いったいどうなるのだろう・・・私の子供は」
ネコ可愛がりがひどい母子ほど恐怖におののいた。
ドラネ村を覆う重い空気の下、長い1日目は暮れていった。
の |
|
|
9月23日
執行権委譲 |
困ったものよヨ〜
「うまいもの喰って、具にもならない議論ばかりしておって・・・愚の骨頂だ!」と悪態をついた。
「・・・・ここに白紙委任がありますので、なんとかよろしくお願いいたします・・・」
朦朧とした視線を宙に這わせ、フラフラの状態の華奢なネコは、今まさに倒れんばかりの様子で枝の上にへたり込んでしまった。
白紙委任状には
「貴殿に村の執行権を無条件、無期限で委任いたします・・・」
と記されてあった。
|
|
|
| 9月20日 |
ドラネ村の会議は三日三晩続けられた。
4日目の夜、手足の長い見るからに華奢なネコが木を登って来た。
「みんな疲れ果て万策付きました。
すべてお任せいたしますとの結論に至りました。
大変あなた様には失礼ですが長老様は持病の糖尿病,心臓病が一気に悪化し、一歩も歩けなくなり私が使者となってまいりました・・・」
|
|
|
9月17日
集団会議 |
「集団指導? 責任逃避の最も良い方法だな
俺の留守中にいったい何があたのだ・・・」
「・・・・」
「親たちは出稼ぎでたんまり金が入り、余計なものまでガキネコに与えたのだろう」
そこで、長老にも何にも策がなければこのオレに指揮権とやらを任せる気があるのかどうか集団会議でも開いたらどうだ・・・」
ゴロニャンー!!!雄たけびをあげて異相ネコは赤い液体が入った徳利を加えると太い木の枝に横たわった。
|
|
|
9月13日
集団指導体制 |
異相のオスネコは言い放つた。
「ナンだこのぶざまは!ガキの教育をおろそかにした天罰だ」
「・・・・・」
物知りの長老猫たちは押し黙るだけ。
「村長はいったい何をしているんだ・・・・」
「村長は気を病んでしばらく前から寝たり起きたり伏せっております・・・」
「その間、誰が政を取り仕切っていたのだ」
「集団指導体制で行なってまいりました・・・」
手足の長い見るからに華奢なネコが無気力に答えた。
コ |
|
|
9月10日
村にかえって来たネコ |
結果ネコ社会は全体が次第に疲弊し、子ネコに限らず大人?のネコのあいだでも理解できない事件が多発した。
誰も有効な対処方法を見つけられず、打つ手も出来ないままネコ社会は崩壊の危機を迎えていた。
そんな状況の中ふらりとネコ村にかえってきたネコがいた。
年よりは覚えていた。
かって異端児として村から追われるように姿を消していた一度見たら忘れられない異相のオスネコであった・・・。
|
|
|
9月7日
ドドラネコの社会 @
 |
かって我輩の先祖ネコ社会の歴史でも似たような現象が多発し、ドラネ社会が崩壊の寸前に立ち至った。
昔、お父さんネコは事情があって出稼ぎに行き、母ネコが子育てに専念するようになった。
これには事情があり、村に餌を運んでいてくれた人間の篤志家が高齢で老衰死してしまったことによる。
結局お父さんネコのほとんどが村を離れ、外で探し餌を運ぶようになった。
したがってお母さんが日常の教育しつけでもお父さんの役も引き受けるようになったのである・・・・。
|
|
|
9月4日
現代社会の病魔 |
最近人間社会では子供たちを中心に理解に苦しむ殺伐とした事件が急増している。
かって我輩の社会でも似たような現象が多発し、ドラネ社会が崩壊の寸前に立ち至ったことがある。状況が酷にしている。
幸いにメシアが現れてドラネ社会は救われたが・・・。
「どんなメシアネコだい・・・」と
多くの日本人は関心があるだろうな。

人もネコも実際落ちるところまで落ちないと真正面に向き合わないものだ。
オノレの欠陥を振り返るのは辛いものだからね。
だから他人のせいにし、社会のせいにし目をそむける。
自分は傷つかないで自然に治癒が可能ならばいいのだが・・・。
そうはいかない!
オノレ自身も一連托生に犠牲を払わなければならない。
にっちもさっちもいかなくなって初めて外科手術を決心することになる。
先祖のドラネ社会で昔起こったことを次回からお話ししよう。
|
|
|
9月3日
防災訓練 |
防災訓練が烏川で開催された。
県の防災訓練が藤岡市烏川の河川敷で行なわれた。朝から晴れて暑くなった。
自衛隊のヘリコプターが迫力ある飛行を行なった。
県会議員も多野藤岡の全員顔を見せたが、防災訓練の前にマメにあいさつ回りに熱心であった。
議員という職業は有権者にこぼれるような愛想を振舞えなければ失格である。私は失格だと大家さんはつぶやいた。

|